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Power to Inspire Story

挑戦し続けるアスリートたちの物語

Vol.3 Kumiko Ogura

自分を見つめ、受け入れることで初心にかえることができた

Kumiko Ogura
小椋久美子

元バドミントン日本代表、スポーツキャスター

スポーツには、ただ競い合い、楽しむだけでなく、人々を成長させ、社会をも変える力がある。スポーツを通して挑戦を続け、多くの人を奮い立たせてきたアスリートたち。彼らは何を考えながら戦い、そしてどんなヴィジョンをその胸に秘めているのか。
バドミントン女子ダブルスで活躍、バドミントンが人気スポーツとなるきっかけをつくった小椋久美子は、現在スポーツキャスターとして幅広く活躍中。そんな現在の彼女を支えているのは、現役時代、故障した自分にかけてくれた指導者の言葉だという――。
Kumiko Ogura
故障したことをまわりのせいにしてしまっていた

春らしいライトブルーのブラウスに身を包んだ小椋久美子は、かつて世界を相手に戦っていたとは思えない柔らかな雰囲気の女性だった。

「いまはよく歩くくらいでトレーニングはほとんどしていません。選手時代はもっと筋肉質の身体でしたよ。私の場合、ダブルスの後衛から強いスマッシュを打つプレーヤーだったので、右腕だけが極端に太くなっていました。当時は1日に1000球以上シャトルを打つのが当たり前でしたから」

現在、男女ともに多くの選手が世界レベルの活躍を見せている日本バドミントン界。その嚆矢ともいえる存在だったのが、“オグシオ”こと小椋と潮田玲子のペアだった。高校生のころからペアを組んだ2人は、数々の世界的な大会でも好成績をおさめ、バドミントンをメジャースポーツに変えた立役者だ。

「スポーツ、バドミントンから学んだことはあまりにも多すぎて、数え切れないくらい。でもひとつだけあげるとしたら、2003年に私が足の小指を骨折したとき、当時の指導者からいわれた言葉ですね。怪我をしたのは、私が他の選手の練習につきあっていたとき。選手としてすごく大切な時期に、数カ月離脱することになりました。そのことが本当に悔しくて、私は怪我を練習の内容や環境のせいにしてしまいました。試合に出られなくなったことで、なかば投げやりな気持ちになってしまっていたんです」

指導者の方針は、「選手として強くなるよりも前に、きちんとした社会人になりなさい」というもの。彼女は、故障で練習を離脱し「どん底だった」小椋にこう声をかけたという。「あなたが怪我をしたのには理由がある」。信頼していた指導者の何気ない言葉が後ろ向きになっていた彼女の気持ちを前に向かせてくれた。

「その言葉を聞いてハッとしたんです。怪我をしたのは、自分の準備不足、注意不足なのに、私はそれをぜんぶ周りのせいにしてしまっていた。まだ19、20歳くらいで若かったからかもしれませんが、自分のことしか考えられなかったし、余裕もなかった。私だって練習につきあってもらうことがあったのに、そういうことすら考えられなかったんです。よくスポーツ界では、故障して離脱すると『神様が休養を与えてくれた』なんて言うんですが、そういうことでもないなと。ちゃんと“理由”を考えよう。もっと自分自身を見つめて、それを受け入れよう。そうやって自分と向き合っているうちに、なぜ私はバドミントンをやっているんだろう、自分はなにを目指しているんだろう、ということも考えるようになりました。そうしたら、『バドミントンが好き』という初心に帰ることができました」
Kumiko Ogura
「まず日本一になろう。そして胸を張って世界で戦おう!」

小椋の故障という危機を乗り越えたオグシオペアは、翌年から全日本総合バドミントン選手権 女子ダブルスで5連覇という快挙を遂げるのだが、このときのブランクがその原動力になったのだという。

「バドミントンが好きな気持ちを再確認できたし、私がリハビリをしている間も待っていてくれたパートナーをより大切な存在に感じるようになりました。結局そのシーズンは後半の半分くらいしか試合に出られなかったんですが、ボロボロになりながら試合を続けている先輩たちを見て、ここで勝ち抜くには気持ちの強さが必要なんだと感じることもできました。私たちにはまだそこまでの覚悟がなかった。あのブランクがあったおかげで、『まず日本一になろう。そして胸を張って世界で戦おう!』とパートナーと気持ちを共有することができました」

「まず理由から考える」という思考法は、引退から10年以上たったいまでも彼女を支えている。

「キャスターを名乗りながら、すごく人見知りだったり、緊張しがちだったり(笑)。いまでも大変なときはたくさんあります。でもそういうときでも、“理由”を考えると冷静になれる。なぜ緊張するんだろう。なにが不安なんだろう。いま自分がどういう状況で、どう行動すべきなんだろう。いったん頭を整理して自己分析してみると、必ずそこには理由があり、改善方法が見つかる。いったん客観的に自分を見ることで、落ち着いて行動することができるんです」

目標は、“好き”の先にあるもの

引退後は、全国をまわりながらバドミントン教室を開くことも多いそう。年間40回以上、おもに子どもを相手に指導しながら、彼女は“小さな挑戦”を続けている。

「私が学生のころは、指導者が怒鳴るのが当たり前でした。でも自分自身がそうだったんですが、そういう指導を受けると瞬間的にプレーはよくなるんですが、ビクビクと指導者の顔色をうかがうようになり、自分で考えることができなくなるんです。それでは本当に強い選手は育ちません。だから私は小さい子どもにはバドミントンというスポーツの楽しさを伝え、もっと強くなりたいという選手には頭を使うことの大切さを伝えるようにしています。バドミントンはすごく頭を使う競技。空間を把握し、相手の動きを読み、駆け引きをする。常に頭を冷静に保って、試合の“組み立て”を考えていなければならない。パワーやスピードといった身体能力だけでは勝てないからおもしろいんだと思います」

もちろん彼女のように世界的に活躍できるアスリートはほんのひと握りだ。

「子どもってあまり大きな目標は持てませんよね。でも自分がなにを好きかはわかる。私もバドミントンが好きで、コートでシャトルを追いかけるだけで楽しい子どもでした。でもそれを続けているうちに目標が生まれ、必死で頑張れるようになった。目標って、“好き”の先にあるものだと思うんです。だからバドミントンでなくても、スポーツでなくてもいい。自分の好きなものが見つかれば、目標が生まれるし、目標が生まれれば、たとえ壁にぶつかったとしても前に進めるようになると思うんです。スポーツがすばらしいのは、誰もすぐにはうまくできないこと。挑戦し、壁にぶつかり、それを超えるという体験を何度も繰り返すことができる。そんな挑戦と挫折、成功体験の繰り返しが人間として生き抜く力をつけてくれるような気がします」

“好き”の先にあるもの、と優しく語る小椋に魅せられ、スポーツを楽しむ子どもたちが増えるといい。そんな次世代のアスリートたちは、自分たちなりの目標を持ち、困難を乗り越えていく力を得るだろう。
Kumiko Ogura

小椋久美子

1983年生まれ、三重県出身。8歳でバドミントンをはじめる。大阪の四天王寺高等学校1年のとき、ジュニアナショナルチームの強化合宿で福岡県出身の潮田玲子と出会い、以後ペアを組むようになる。高校卒業後、潮田とともに三洋電機に入社。2004年から全日本総合バドミントン選手権 ダブルスで5連覇を果たす。世界大会でも好成績をあげ、オグシオペアは全国的な人気に。2010年に現役を引退。現在はスポーツキャスター、解説者として活躍。
文・川上康介 写真・淺田 創 ヘア&メイクアップ・AKANE
── 私たちは、スポーツの力を通じて次世代を担う子どもたちを支援しています ──
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